田村のりひさホームページ

かわら版

●かわら版● エアレーション

現在、私は自由民主党下水道事業促進議員連盟の事務局長を務めさせていただいておりますが、その関係で、昨年、11月より日本水道新聞社発行「日本下水道新聞」のエアレーションというコラム欄に合計5回にわたり寄稿させていただくこととなりました。

以下、寄稿文を紹介させていただきます。


 はじめまして。衆議院議員の田村憲久でございます。この度、このコーナーに五回にわたり寄稿させていただくこととなりました。よろしくお願い致します。
 さて、私が、なぜ寄稿させて頂くことになったのか、初寄稿となる今回、ご紹介申し上げます。
 私は昭和39年東海道新幹線が開通し、東京オリンピックが開催された年に生を受けました。我が国が急激に発展し、先進国へ向かってまっしぐらに進んでいる時代で、多くの社会資本の整備が急務であった時代です。下水道整備も多分に漏れず、この頃を前後して、大きく歩みを進めています。
 ご存じの方もあろうかと存じますが、昭和32年、建設省内に下水道課が設置されました。しかし新設課でもあり、当時の担当の方々は大変なご苦労をされたと聞いています。その後、社会のニーズの増大に伴い、昭和43年に自民党建設部会のもとに、下水道小委員会が設置されました。(もちろんこの時期、私はまだ議員ではありません)
 その初代小委員長に、私の伯父である田村 元 元衆議院議長が就任致しました。
 このことで私も下水道とのご縁ができたと言うことです。余談ではございますが、その翌年昭和44年4月に当下水道新聞が日本水道新聞から独立し、発刊されたとのことです。
 その後、下水道課は部へ、小委員会も下水道対策特別委員会へと昇格しました。
 ちなみに小委員会は建設部会の下部組織ですが、特別委員会は政調会長直属であり、それだけ下水道事業の重要性が自民党において増したと言うことです。
 そして、昭和52年12月に下水道事業促進議員連盟が発足し、田村元が初代会長となりました。
 その際、「下水道は私の命」と会長挨拶をしたことは、今も語り継がれています。もちろん、田村は、その政治家人生において、下水道事業促進に生涯取り組み、83歳になった現在も後輩である若手議員をつまえては下水道談議に花を咲かせています。
 平成8年伯父の政界引退に伴い衆議院に初当選した私も当然のごとく下水道事業の促進に取り組むことになったわけですが、程なく、下水道事業促進議員連盟の事務局長という大役をいただき、十一年の年月が流れ現在に至っております。

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